地方都市が思い出になるまでの話
久しぶりの一人旅、帰りの東海道線車内にてこれを書いている。
丸一日のオフだったので、サウナーのサンクチュアリ、念願のしきじを目指し静岡に降り立った。
しきじでおれは宇宙を見た。このままこの幸福に包まれて目が覚めたときには遠く後方に三途の川があるのでは、とすら思えるくらいのととのいだった。 休憩室、くたびれたリクライニングチェアによりかかり遠くTV内ニュースキャスターの声をBGMにスーパードライを飲んだ時、目頭が熱くなったことを今後忘れないだろう。
フロム西日本のおのぼりさんにとって静岡という土地はただの通過点にすぎなかった。 新幹線、高速バス、鈍行列車、飛行機、レンタカー、様々な手段を用いては横長に鎮座するこの県を何年も何年もただ通り過ぎていた。
サウナ帰り、乗り継ぎの効率を求めると2時間近く時間を持て余すことになったので、静岡を練り歩くことにした。 どことなく静かで哀愁ただようイメージをもっていたが、駅から離れると活気に満ち溢れていた。
道中、イキフンいい感じな串焼き屋で名物黒おでんとレモンサワーでせんべろ。帰れなくなるリスクを感じたので熱燗は自粛した。名物を食べると、その街の生活、文化のドアをノックしたような気持ちになる。
店をでるとバカでかい月が出てた。
喫煙所に入ると、体より大きめの服を着た少年が5,6人。おれも歌詞を書く」「MVはあそこで撮りたいな」「あいつが売れたらおれら有名人の友達じゃね?」 そんな会話をしていた。
少し早めに駅のホームに降り立つ。 帰りたい気持ちと、この街を離れる寂しさが訪れる。
シートに座り、今日の出来事、次この街に来たときのこと、既に通過点ではなくなったことなどを考えたりしながら、おれはiPhoneのメモ帳を起動した。
車内放送、乗り換えのアナウンスが走る指先を止めた。